「フキハラ」というどうでもいい造語

社会

夫の不機嫌ハラスメント「フキハラ」に泣きながら声をあげた。私たち夫婦はどう話し合ったか。
不機嫌になることが悪いわけではない。相手を萎縮させずにきちんと会話をして、歩み寄りたい。夫は最初は戸惑いながらも、心を開いてくれました。「弱さを見せた方が自分も生きやすくなるかもしれない」と思ったのだといいます。

ハフポストのくだらない記事。

夫の「フキハラ」(不機嫌ハラスメント)に苦しんでいた妻が、話し合いをして、お互いを理解することで徐々に夫婦間が良くなってきたといった内容。

わざわざ記事にすることだろうか。

単に夫婦喧嘩をした後、仲良くなっただけである。

「フキハラ」といって、何でもハラスメントにする現代の風潮には嫌気がさす(セクハラ以外のハラスメントはほぼ害しかもたらさない)。

本来大したことないものを「フキハラ」という言葉で、いかにも深刻なように装う。

パワハラが当初の意味から徐々に変わり、濫用されているように、何でもハラスメントになり、息詰まった社会となっている。

あらゆる造語が、社会を悪くしている。

私の持論である。

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